鈴虫のまとめです。
和歌
76.へだてなくはちすの宿を契りても君がこころやすまじとすらむ
(女三の宮) 女三の宮、出家して成長・自立
77.心もて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ
(源氏) 六条院、思い思いの鈴虫の宴
名場面
77.「鈴虫は心やすく、いまめいたるこそらうたけれ」などのたまへば、
(p66 六条院での鈴虫の宴)
[鈴虫を終えてのブログ作成者の感想]
短い「鈴虫」を終えました。「横笛」が柏木の恋物語の終わりで次の「夕霧」から本格的な夕霧の恋物語が始まる、その繋ぎの帖ということかと思います。
前半は六条院の春が舞台で女三の宮の華やかな持仏開眼供養の様子が語られました。ここでは出家ってどんな意味を持つのだろうと考えましたし、源氏の女三の宮への想いについては女々しく未練たらしいけど優しさ寛容さの所為だろうとも思いました。
後半は中秋の名月に六条院での鈴虫の宴、舞台を冷泉院に移して冷泉院・秋好中宮との交流が描かれました。何れもストーリー的には進展のない幕間の寸劇といった感じがしました。冷泉院は源氏の不義の子、秋好中宮はかの六条御息所の娘。何れも源氏にはいつも気にしているものの気楽に会って笑い合える仲ではなく堅苦しくならざるを得ない関係の二人です。つくづくと複雑な人間関係の中で生きている源氏の辛さを気の毒に思いました(できれば人間、単純に生きたいものです)。
本年はこれで終了です。何とか予定通り鈴虫まで終えることができました。これもみなさんのバックアップがあってのことで厚くお礼申し上げます。来年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
来年は1月6日開始予定です。お正月どうぞゆっくりお休みください。
[1月の予定]
夕霧 14回(1/6-1/23 1/13含む) & 総括(1/24)
御法 4回(1/27-1/30) & 総括(1/31)
源氏に始まり源氏に終わった一年間でした。
残りの月数(冊数)の方が少なくなっていることに気付かされます。
思えば遠くまでよくぞ歩いてこれたものだと感慨深いものがあります。
優秀な道しるべに導かれて思わぬ世界が広がりました。
60代最後の年、欲張っていろんなことが経験できました。
ありがとうございます。
新しい年は1月6日、夕霧から・・・どんな恋が展開されるのか楽しみです。
エネルギーを蓄えるためにも頭をからっぽにしておきます。
来る年もお互い健康でありますように・・・
皆様どうぞよいお年を!!
こちらこそ一年間お世話になりました。お忙しい年でしたでしょうに律儀に熱いコメントを返していただきありがとうございました。
この齢になり世の中のこともまずまず分かってきたと自負しているのですが、そんな私(&みなさん)を夢中にさせる源氏物語の計り知れないパワーには驚く他ありません。感動は分かち合わないと勿体ない。来年もどうぞよろしお願いします。
完読・完詠記念旅行、是非やりましょう。それを楽しみに机に向かうことにします。良いお年を!
頭の中にはいつも源氏物語があり、一年間を通して費やした時間も多かったです。この年齢でこれだけ熱中できるものがあるのは幸せです。
源氏物語からいろいろ他のものに拡がって、時々収拾がつかなくなることもありますが、楽しい日々です。
これも清々爺さん、青玉さん、みなみなさまのお蔭だと感謝しています。
来年もよろしくお願いします。
どうぞ良いお年をお迎えください。
お世話になりました。つくづくいい友だちを持って幸せだと思っています。
源氏パワーはすごいですね。熱中させられますもんね。
でも時々はテキストを開くのが億劫になる時があります。そんな時は「花宴」か「紅葉賀」の朗読を聞かせてもらうことにしています。源氏に立ち向かう気力が湧いてきます。朗読、本当にありがたいです。どうぞ来年も朗読・コメントよろしくお願いします。
完読・完朗読記念旅行、楽しみです。それでは良いお年を!
鈴虫でも源氏と秋好中宮の出家話が出て来ました。
秋好中宮の出家の理由は、六条御息所の霊を鎮魂したいと言うものでしたが、源氏はどういう気持ちで中宮の出家を止めているのか、少し考えさせられました。
本来は、源氏の浮気心が原因で御息所の霊はさまよっているはずで、それを鎮めるには、源氏が出家するのが一番近道とも思えます。源氏には、御息所に済まないことをしたという後悔の念はあるのでしょうか。自分は悪くなく、納めどころなくさまよう御息所の霊がそもそも問題と整理しているのでしょうか。秋好宮を中宮にまで育て上げたことで責任は果たしたと考えているのでしょうか。おとこ源氏の心内やいかに、と考えさせられます。
源氏が出家できないでいるのは、置かれている立場やかれの性格からして物語上至極当然とは解っているつもりですが、御息所の霊を鎮魂できるのは自分しかないと、秋好中宮には言えないものなのでしょうか。出家しないまでも、もっと法要を営むとかその気になればやれることはあるようにも思えます。
P80にある
みづからの勤めにそへて、いま静かにと思ひたまふるも、げにこそ心幼きことなれ
と紫式部は総括し、後は読者が考えなさいと、しているのでしょうか。当時女性はこれ以上は書けなかったのでしょうか。
歌では、今回清々爺と全く同じで(小生も進化したということかも知れません)
へだてなくはちすの宿を契りても君がこころやすまじとすらむ
と
心もて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ
が良かったです。
今年初めからこの会に参加させていただき、途中で皆さんに追い付き、一緒に源氏を読ませていただき、これで一年が経ちました。
源氏物語や古典にもっとも遠い存在であった私が、すっかり源氏物語が好きになり、読むことが今や生活の一部になったことは自身驚きであり、喜びでもあります。
まだまだ皆さんの足元にも及びませんが、清々爺はじめ皆さんのお陰と厚く御礼申し上げます。来年も引き続きよろしくお願いします。
それでは、良い新年をお迎えください。
ありがとうございます。
1.源氏物語における六条御息所の存在意義は誠に大きなものがあると思います。もし六条御息所がいなかったら源氏物語は薄っぺらなものになっていただろうと寂聴さんは言っていますし、能や歌舞伎でも六条御息所が登場するものが多いと聞いています。死んでも生き続ける六条御息所、鈴虫でも娘秋好中宮の想いを通して登場し読者に存在をアピールしています。
→どこかで青玉さんが書いてらしたように物語を進展させたいときに六条御息所の死霊を登場させる、そんな狂言回し的な役割も果たしてますし、、、。
『源氏には、御息所に済まないことをしたという後悔の念はあるのでしょうか。自分は悪くなく、納めどころなくさまよう御息所の霊がそもそも問題と整理しているのでしょうか。秋好宮を中宮にまで育て上げたことで責任は果たしたと考えているのでしょうか。おとこ源氏の心内やいかに、と考えさせられます』
→いい問題提起ですねぇ。これこそ源氏物語を読む醍醐味と言えるのではないでしょうか。私も「葵」「賢木」「須磨」「澪標」と読み返す度に違った想いを感じます(源氏をけしからんと思ったり、六条御息所よいい加減にしたらと思ったり)。
2.この一年間貴君の参加を得て嬉しかったです。とても源氏読み一年とは思えない進歩振りに感心しています。来年も源氏をベースに世界を拡げてください。
完読記念旅行をお楽しみに。勿論カラオケも続けましょうね。
では、良いお年を!
「アーサーウェイリー訳にはこの巻が飛ばされており・・・」
さもありなん。飛ばした理由が良くわかります。
この帖、もし青玉さん(2013年12月30日)のコメント(※)が
無ければ、何も印象に残らなかっただろうと思います。
※中宮の出家願望はひとえに亡き
母御息所の罪障消滅だったのですね。(以下略)
物語とはあまり関係ありませんが、清々爺が 当時の松虫と鈴虫、
それにキリギリスとコオロギの呼称に触れています。
(→呼称が昔と今では逆、ついでに言えば豆腐と納豆もそうです)
これは京での呼称を地方武士が地元に虫を持ち帰った時に
適当に呼び習わして逆になったと言うのが定説です。
PS 年末の挨拶が飛び交わっている”コメント欄”を拝見して
汗顔の至りです。こっちは 「真央ちゃん15位かぁ~!」と
叫んでいるのですから。尤も&実は、張子君(11位でした)を
コッソリ応援しているのですが・・・・。
ありがとうございます。
短い帖で楽でよかったじゃないですか(次は長くなりますから)。
1.確かにストーリー的にはつなぎの帖で印象に残る場面はあまりないかもしれませんが、そうかと言って勝手に訳を抜かしてはいけません。それだけで評価は下げざるを得ませんね(真央ちゃんの演技ミスじゃないですけど)。
そんな中で国宝源氏物語絵巻にある源氏と冷泉院の顔合わせの場面はそれなりに源氏物語らしい場面だと思っています。この絵を見ながらけっこう語れますよ。
2.豆腐と納豆も呼び方逆なんですか、知りませんでした。そう言えば納豆って豆を発酵させる(腐らせる)んですもんね。中国語も豆腐は豆腐ですよね。納豆はどういうんでしょうか。
松虫と鈴虫、コオロギとキリギリス、これらは地方武士が京都から持ち帰ったときに逆になってしまったのですか。なるほど、まあよく似た虫だからこんがらがってしまって、どちらがどちらか分からなくなり声が大きい人の一声で決められたのでしょうかね。
(中国人も頑張ってますね、李子君が可愛い方の子でしたっけ)