閑話 奥の細道について

私を古典の道へと誘い、ひいては源氏物語まで導いてくれたのは芭蕉の「奥の細道」でした。歴史に興味があり古典もやりたいとは思ってたもののどう入っていったらよいか分からない。奥の細道は著名にして短編、古文も比較的分かり易い、紀行もので内容的にも理解しやすい、、これなら読めるだろうと挑戦したわけです。俳句をやってみたいなと思ってたこともありました。

正解でした。奥の細道は今からざっと300年前(実際には323年前だがアバウトで考える方がいい)、彼が追い求めた西行・源平の時代はそれから500年前だし、色々出てくる故事・伝承・歌枕は更にずっと昔のこと。歴史を感じると言うことはそういうことかなと刺激を受けたものです。芭蕉の時代=300年前はほんの少し昔に思えたものです。

奥の細道は5月16日(新暦)深川を発ち10月初大垣にたどり着くまで150日間で2400KMを踏破した道中を記した紀行文です(実際にはなかったフィクションが多く「偉大なる虚構」ではあるが)。俳句が63句載せられています。この俳句を実際の季節に合わせ味わうべく「奥の細道」を読むときは芭蕉の旅程に合わせ読むのがいいと思っています。

因みに7月下旬の時期は出羽三山を巡り酒田に居るところです。
  涼しさやほの三か月の羽黒山 (7月21日@羽黒山)
  雲の峯幾つ崩れて月の山 (7月22日@月山)
  暑き日を海にいれたり最上川 (7月30日@酒田)
酷暑の中苦労して旅を進めている様子が実感として分かるかと思います。この句を冬、炬燵の中で読んでいてもピンと来ないのではないでしょうか。

奥の細道から西行のことを調べ平家物語を読み、百人一首を覚え始めました。そして源氏物語へと辿りついたのです。

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6 Responses to 閑話 奥の細道について

  1. 式部 のコメント:

    そうだったのですか。最初の一歩は「奥の細道」でしたか。奥の細道を読んでいくと次々に原典にあたってみたくなりますものね。そうやって古典の深みにはまっていくのでしょうね。
     結果的にはそれが大いに良かったということですね。おかげで私も楽しめるということです。芭蕉翁はこの暑さの中よくぞ行脚できましたよね。現代人と心の持ちようが違っていたのでしょうね。

    • 清々爺 のコメント:

      コメントありがとうございます。
      そうです、芭蕉翁のお蔭です。同じ三重県と言っても伊賀の人ですが津と同じ藤堂家に仕えたのだからまあ近いこともありますしね。

      奥の細道、150日2400KM、一日単純平均16KM。すごいもんです。
      8月、象潟を過ぎての金沢までの道のりは地獄だったでしょうね。「奥の細道」文中でももう少し脚色すればいいのに、ここは多少投げやり気味に「此の間九日、署湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず」って書いてますもんね。。

  2. 青玉 のコメント:

    sassaさんからおくの細道、小倉百人一首、源氏に導かれ、更に万葉さんからは万葉集へと誘われ歴史をどんどん遡り今日は古事記の世界で遊んできました。
    歴史と法律が並びながら出てくることを認識しました。

    「おくの細道」 ここ数日の暑さ、季節はぴったりです。
    涼しい季節が待ち遠しい~
           文月や六日も常の夜には似ず(越後路、直江津)
            
    佑之氏のイザナキ、イザナミからコノハナサクヤビメの所ではおくの細道の室の八島(3月29日)を思いだしました。
    本当に歴史、文学の繋がりを実感しました。

    今日は土用の丑、江戸時代から続いているそうですが古くは万葉集にも歌があるそうです。
    巻16-3853
     岩麻呂に 我れ物申す 夏痩せに
          よしというものぞ 鰻捕り食せ

    巻16-3854
       痩す痩すも 生きらばあらむを はたやはた
            鰻を捕ると川に流るな

    以上、平家の先生からの受け売りでした。

    • 清々爺 のコメント:

      室の八島、そうでしたね。神話の言い伝え、ここは神社フリークの曽良に花を持たせ、「同行曽良が曰く、、、、」なんて記してるんですね。うまいもんです。

      万葉集の鰻の歌ご紹介ありがとうございます。2首並んでるんですね。「夏痩せには鰻を、、」日本人の知恵ですね。私もあやかって昨晩食べました。

  3. 清々爺 のコメント:

    ブログ作成者の補足コメントです。

    芭蕉は江戸に出る前京都で北村季吟について俳諧連歌の修行をしています。当時の連歌には古典を下敷きとするものも多く、古典とりわけ源氏物語なぞは隅々まで通暁してたのだと思います。

    奥の細道に出てくる源氏物語:

    1.深川旅立ちのところで、「月は在明けにて光おさまれる物から、、」と書かれているがこれは「帚木」②p140からそっくりいただいている。空蝉との一夜を明かした重要なところで源氏読者は皆知ってるので、「芭蕉さん、やりましたね、、」と思うはず。芭蕉も当然それを意識してのパクリだと思います。

    2.福井で昔の弟子を訪ねる場面、弟子の妻が出てくる。文中にも「帚木」「夕顔」も出てくるしここは源氏物語「夕顔」の宿の風情そのものです。

    3.敦賀湾色の浜で、「寂しさや須磨にかちたる濱の秋」と詠んでます。源氏物語須磨との比較です。

    (オマケ)今日から我が家は夏休みで大賑わいになります。オリンピックもあるし、虫取りザリガニ釣りだの自然観察などで古典に親しむ時間はなさそうです。「道しるべ」は予定投稿にしてるのでいいのですが、俳句が苦しい、、、まだ影も形もありません。。。

    • 青玉 のコメント:

      おくの細道と源氏の該当場所に一応チェックを入れておきました。
      3巻までしかないので6巻までボチボチ取り寄せておこうかな。
      4巻の須磨にチェックを入れ6巻で内裏の地図が有るのですね。
      少しずつ準備を整えていきます。

      ご家族大賑わいで良いですね。
      童心に還って、しっかりお爺様してください。
      大人の方がはしゃいでいたりしてね・・・

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